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2014年7月 2日 (水)

2014年7月2日

アニメ「メカクシティアクターズ」とはなんだったのか…。

あくまでアニメの範囲でしか評価できませんが、ほかに放送されていたアニメと同じ評価基準で
この作品を見たとき、なにかが特別に優れているとは思えず。
むしろ視聴者に対して不親切と思える部分、足りてない部分ばかりが目につきました。

まず、中盤のころにブログで触れたシリーズ構成について。
各キャラクターの生い立ちや回想など、とにかく過去の時間軸ばかりを掘り下げすぎでした。
合間に少しだけ現在が描かれはしたものの、その先に描かれるべき未来が全然見えてこない。
この時間配分が結果として最終回を圧迫するに至りました。

その最終回もいきなりループ設定が出てくるし…ループものには鉄則というものがありまして
ループする世界を食い止めようともがく様子をあらかじめ描いておかないと、ループを解いたときの
達成感や感動を視聴者側に伝えられないんですよね。

「実はループしてました」→「こうしないとループは解けません」→「ループ解いてやったぜ!」を
最終回のなかで全部消化してしまうとああいう結果になるわけですよ。

群像劇、異能力、過去の掘り下げ、ループ設定…マンガやアニメのおいしい要素をまとめれば
絶対おもしろいものになるだろうという確信があったのかもしれませんが、そうはならず。
これはひとえに脚本を担当した「じん」氏の手腕によるところが大きいのではないかと。

そもそも音楽で注目されていた氏ですが、その音楽も劇中で効果的に使われていたとは言えず
氏の才能は過大評価されているのではないか?という疑念も浮かんできます。

しかし、こんなアニメでもファンには『グッズとして』売れるんだろうなぁ…という諦観もあり。

「ラブライブ!」にも同じことが言えますね。アイドルものとしては正解かもしれませんが。
買えば必ず参加できるAKB商法とは違い、イベント抽選券という悪辣な商法でソフトを売りさばく
様子を見ると、二次元アイドルのほうが容赦ないなと思えます。
今後も抽選券を売るために海外ドラマあたりを模倣し続けるのでしょうか。

まあ…商品としては売れたら勝ち(価値あり)なんですよね。ビジネスでやってるわけですし。

どこで幻想から醒めるかが信仰の指針になるのではないかと。
たとえば最終回で、卒業式の送辞で生徒会長が自分語りをはじめた挙句に歌い出したら…。
「さすがにこれはちょっと…」と、冷静になってしまうファンもいるわけです。
それを擁護できる、合理的な演出だと思える人はより重度な信心をもっていると言えます。
つまり、信仰をより重度にすることがアニメビジネス成功のカギと言えるでしょう。

…いや、冗談ではなくそれが正解なのかも。良し悪しを判断できなくなるほど信心を深めれば
ソフトはバンバン売れるしファンもハッピーっていう世界。お金の循環もよくなります。



狂信と冷静って傍目には判断しづらいんですよ。論理的であればなおさら。
出来の良いアニメを良いと言えば「信者だから」、悪いアニメを悪いと言えば「アンチだから」と
言い返され、大抵のことは否定できてしまうしどちらが正しいか判断する術がありません。

なにか貶めたいものがある場合、悪評を広めるのがもっとも手早い。
言わば週刊文春的な(笑)のちのち起訴されて敗訴しても、そっちのほうは大きなニュースには
ならないので、結果として悪評だけが世間に広まって終わるというパターン。

その逆は徹底的に信仰を広めることですね。信者を増やして封殺する。
「全米が泣いた!」「感動しました!」「せーのっ!○○最高ーッ!!」みたいな空気を蔓延させ
良いものなんだという印象をさまざまなメディアを通して感染させていくパターン。
世間的に逆らい難い風潮にできればしめたもの。近隣住人全員信者みたいなのもありえます。

双方がうまい具合にバランスよく噛み合っているのがAKB48ではないかと。
どちらかの勢力が一方的に勝つことなく、信者とアンチ(とされる人々)が拮抗する状態。

「ラブライブ!」はそういう意味でもアニメ界のAKB48的なものになりつつある気がします。

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