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2016年5月 3日 (火)

『情弱』の時代

以前はよく、『情報弱者』を略した『情弱』という単語をネット上で見かけました。

『情弱』とは、ネットの機能や性能を有効に活用できない人を指します。
ネットに接続できればタダ同然で手に入るお得な情報や便利な機能を知らない、使いこなせない人。
お得な情報や便利な機能の存在は知っていても、それを取得するのに時間がかかってしまう人。
情報源の信頼性を判別できない人、ウソをウソと見抜けない人など様々な意味で使われます。

高速・高機能化されたネット社会に適応できない、それが『情弱』と呼ばれる人々です。
『情弱』に対して『情強』などという言い方もありますが、最近その地位が逆転しつつあるようです。

つまり、『情弱』と呼ばれる人々が強くなってきているということ。


強くなってきているといっても、『情弱』だった人たちが『情強』になったという意味ではありません。
あくまで以前どおりの『情弱』なまま、社会的・商業的重要性を『情強』より高めているのです。

言うなれば、『情弱』の特性に目をつけた人たちが『情弱』に価値を見出したわけです。
その結果『情弱』の需要が急激に伸び、市場価値の面で『情強』を上回ってしまったんですね。
具体的にどういうことが起きたのか説明していきましょう。


まず、『情弱』と呼ばれる人々がどういう特徴をもっているか挙げてみます。
最初に書いた部分と内容が重複してしまいますが、改めて箇条書きにして確認することにします。

 ・お得な情報や便利な機能を知らない、あるいは使いこなせない
 ・情報の取得に時間がかかる
 ・情報の信頼性や真否の判別ができない

『情弱』な人々はこれらの弱点に少しは劣等感を抱いていて、こっそり克服しようとはしているのです。
しかし『情弱』であるがゆえにその克服の仕方もまさに『情弱』なのです。

 ・お得な情報や便利な機能を知りたい → 最初に見つけたまとめブログやアルファに頼る
 ・情報の取得を早めたい → 最初に見つけたまとめブログやアルファに頼る
 ・情報の信頼性や真否を確認したい → 最初に見つけたまとめブログやアルファに頼る

くどいようですが(笑)つまり、最初に見つけたまとめブログやアルファを信頼してしまうんですね。

最初から「2ちゃんねる」などの匿名掲示板にたどり着ける人はまだ優秀だと思います。
ほとんどの『情弱』には見方がまずわからず、情報が多すぎて必要な情報を選別できません。
そこで必要になるのが情報のキュレーション、選別の代理人です。


『情弱』にとって、まとめブログやアルファのようなキュレーションは非常に有益な存在です。

なにせ『情弱』から密かに卒業させてくれる存在なのですから。麻薬のような魅力があります。
しかも、一応「自分で選んだ」という誇らしさもあるわけで。

最初は単に便利だとか、新しい話題を提供してくれる程度の感覚なのでしょう。
提供される情報が誰かの意思によって選別されているという感覚はどんどん抜け落ちていきます。
まとめブログやアルファは彼らの都合に合わせて発信する情報を選んでいます。

逆に彼らにとって都合の悪い情報は発信せずにねじ伏せたり、ねじ曲げたりできてしまう。
そんな作為があるなどと『情弱』は思いもしない。楽しければいい、便利ならそれでいいと思ってしまう。
「キュレーションにも良し悪しがある」ということを『情弱』は考えもしません。
無邪気ゆえにキュレーションの作為にも加担してしまう。それが『情弱』の『情弱』たる理由です。


『情弱』のためのキュレーションが『情弱』の需要により急成長していった結果、なにが起こったのか。
まとめブログのトラフィック、アクセス数がバカにできない数字になってしまいました。

バカにできない数字、つまりそこには「市場価値がある」ということです。


ネット人口の割合において、『情弱』の数は『情強』をはるかに上回ります。
人口のピラミッドの裾野に位置していた『情弱』が求める情報と、まとめブログが求めるトラフィック。
情報をできるだけ安く発信できて、できるだけたくさん見てもらえる場所を求める企業。

広告媒体として、フィードバックを受け付ける場所としてまとめブログが非常に有用であるということに
商品をたくさん売りたい企業や、他社を蹴落としたい企業が注目しはじめたわけですね。

商品を売るには、商品を買わせないためには、まとめブログを通じて情報を発信してもらえばいい。
しかし、その有用性を維持するには『情弱』をまとめブログにつなぎ止めておかねばなりません。
まとめブログはつねに『情弱』にレベルを合わせておく必要があります。
記事はより短く簡潔に、ゴシップやスキャンダルを盛り込み、必要ならウソでも捏造でも掲載する。

しまいには企業が売る商品そのものまで『情弱』に合わせて作られるようになります。
『情弱』が注目しやすい『情弱』のレベルに合わせた商品が市場にあふれ、『情弱』が過ごしやすくなり
その反対に『情強』にとっては不遇の闇の時代が訪れるわけです。

数の少ない『情強』は企業やまとめブログにとって価値の低いものとして映ります。
彼らは文句を言うばかりで数字につながらない。お金にならない。非常に単純な理由なのです。


得する人が増えるのだからそれでいいではないか。それも道理でしょう。

しかし、世に送り出される情報や商品はどんどん劣悪なものになっていきます。
漫画やアニメ、映画といった我々に身近な商品もその例外ではありません。
ゲームなんて最たる例ですよ。ゲーム会社がまとめブログとの癒着を口外してしまっていますから。

なんでこんなつまらんものがネット上でもてはやされているのか。答えは簡単なんですよ。
そのほうが売れるから。売れてしまう地盤があるから。人口が支えているから。

どんなに悪しき側面が指摘されてもまとめブログがなくならない理由がよくわかります。

悪質なまとめブログをなくすには、悪質なまとめブログと癒着する企業をなくすにはどうすればいいか。
根本的な原因である『情弱』の数を減らすしかありません。

しかしそんなに簡単なことではありませんよね…『情弱』を『情弱』から卒業させるのって。



『情弱』という穏健な言葉を使って説明しましたが、これは『バカ』をオブラートに包んだものです。

市場価値の低下により『情強』にとっての優れた商品が「価値のないもの」として扱われてしまうことを
非常に残念に思いつつ、「そういうことだったのか」と変に納得もしています。

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