「FF14」 3.0実装分を終えて
「FF14」の「蒼天のイシュガルド」編、3.0実装分までクリアしました…周囲の多大な協力もありまして。
これで製品版として購入した範囲は一応すべて終わったことになります。
ゲーム性についてはそれほど変化がないのでストーリーに限った話になりますが、やはりおもしろかったです。
3.0実装分だけが「FF14」のなかで別物と言ってもいいくらい、それぐらい異質におもしろい(笑)
「新生エオルゼア」がいかに期待にそぐわないものだったか、『暁の血盟』という存在をうまく回せてなかったか
3.0実装分を振り返るとしみじみと実感できます…今回はそれぞれの駒をうまく回せてたなぁと。
これが一般的なRPGで、ここでストーリーを完結できていたならもっと高く評価できていました。
しかし本作はMMORPGであり、どうしても続きを描かなければならない。そのため次への布石があります。
この布石があるせいでスッキリしないというか、「それ要ります~?」ってなっちゃうんですよね。
そのへんは後述するとして、とりあえず3.0実装分については大いに褒めたいと思います。
今回もほかの映画などとの類似性を指摘したくなってしまう部分はあったのですが、それは置いといて。
「FF14」のストーリーの核になる要素は蛮神であると考えています。もっと言えば、種族と信仰の違い。
現代社会において戦いの原因になるものはなにか?と考えたとき、思いつくのは宗教と人種の違いです。
世界征服とかお姫様を助けるとか、そういう使い古されたものではリアリティを感じられない時代になりました。
現代においてもっとも真剣に考えてもらいたい、考えてもらえるストーリー。
そこから弾き出されたのが宗教や人種、思想の違いから起きた戦争というテーマなのではないかと。
おそらくそのあたりをヒントにして「新生エオルゼア」も描かれたのでしょうが、いかんせん構造が古臭いままで
プレイヤーの(わたしの?)興味を惹けるものには仕上がっていませんでした。
「イシュガルド」では蛮神と種族、戦争の歴史という現代にも通じるテーマをあらためて丁寧に掘り下げており
このストーリーを通じて『プレイヤーに考えさせること』ができていたのがよかったと思います。
考えないでいいゲームはつまらない。考えない人たちに向けて作られたゲームはつまらない。
ファイナルファンタジーというシリーズをこれまで続けてきて、それなりの年齢になった人がきちんと楽しめる
『考えさせてくれるゲーム』になっていたことが3.0実装分の評価に直結していると感じました。
しかし、どうも奇跡は長続きしないようで…3.1実装分からまたなんか怪しい空気が漂っています。
ストーリーの主軸にあきらかに必要のない『暁』の再結集や新キャラの追加、『闇の戦士』なる陳腐な存在。
続きを見ようという気が萎える、正直言って蛇足としか思えない延長戦。
続きがあることにガッカリしてしまうことってそうそうないと思うんですよ。
掲載誌側の事情で終わりを迎えられない少年マンガを読んでるときの気持ちに似てるかもしれません。
ストーリーについてはとりあえずこのへんにしといて、以前悩んでいた爽快感や達成感の話もしましょう。
あれから吟遊詩人を続けて、レベルがカンストするにまで到って変化はあったのか。
ぶっちゃけあんまり変わってません。DPSとしての理論上の効率を突き詰めて、その気になってるだけ。
格闘ゲームでいうところの「操作してて気持ちいい」「この技を当てると気持ちいい」みたいな実感はないまま
DPSという役割だから、それしかできる仕事がないから仕方なくスキルを順番に撃ってるだけ。
それが実際に効いてるかどうかという実感はないまま。詩人の歌が味方を支えてる実感もないまま。
現時点での結論を言えば、爽快感や達成感を求める人はゲーム開始時に弓術を選ぶべきではありません。
たぶん同じDPSでも近接DPSを選ぶべき。もしくはタンクかヒーラー。
「FF14」プレイ開始前まで時間を戻せるなら、弓術は絶対に選びません。わりと本気で思ってます。
もしどうしても弓で爽快感を得たいならベノムバイトとウィンドバイトのDoTダメージのクリティカルヒット確率を
極限まで上げて、ブラッドレッターを連発できるよう装備や行動を突き詰めるのがよいと思います。
ブラッドレッターはエフェクトとダメージが大きいので、連発できると確実に気持ちよくなれます。
また、連発すなわち操作が忙しくなるのでフィジカルの面でも爽快感の向上が見込めるというわけ。
そうすることでDPSとしての性能も向上しますし、一挙両得という感じではないでしょうか。
フレンドは「これは協力し合うゲームだから」と言ってましたが、もっと自己満足でいいはずなんですよ。
というより先に自己満足があって、それが集まって協力プレイになるのが理想だと思います。
格闘ゲームの例を出したのは、"ウメハラ"こと梅原大吾さんの最近の談話を読んだ影響からです。
プレイしていて楽しい格ゲー、優れた格ゲー、人気が出る格ゲーとはどういうものか?と考えたときに出るのが
「自分の使用キャラがおもしろいか、操作してて楽しいか、楽しい瞬間があるか」という基準だそうで。
対戦の勝ち負けとか全体のバランスとか、アップデートで他のキャラがどうなったかとかはまったく関係なくて
自分自身に降りかかる部分、自分が直接触れることになる部分を重視する。
マイルドな調整はウケない。むしろバランスが悪いくらいのほうが人気が出るし、プレイヤーも集まってくる。
それは結局みんな、自分が直接さわる部分が気持ちいいかどうかで判断しているから。
なにかひとつでも気持ちいい部分があれば、他のキャラにひどい壊れ要素があっても続けられる。
逆にそれがなかったり、アップデートで削られたら続かない。プレイヤーの反応は本当にハッキリしている。
格ゲーの経験もある身としては、この話にとても納得できました。
そして、これは格ゲーでなくても通用するものだとも思います。「FF14」も例外ではありません。
いまの吟遊詩人は楽しくない。操作してて楽しい瞬間が少ないのに、ヘタなことをすれば文句を言われる。
うまくできたとしても褒められることもないし、そりゃモチベーション切れるでしょう…。
自分がレースゲームを黙々と続けられるのは、プレイしてる時間がつねに楽しく気持ちいいからです。
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