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2017年2月 8日 (水)

「BanG Dream!(バンドリ)」の賛否両論

「BanG Dream!」の放送が第3話まで終わりまして、現在ネット上でちょっとした物議を醸しております。

物議のなかでおもに槍玉にあがっているのは第3話の後半にある『きらきら星』のシーン。
ライブハウスに出演予定だったバンドの到着が遅れ、なんとかして間をもたせないといけないという場面において
主人公・香澄が勝手にステージに上がり、アカペラで稚拙な『きらきら星』を歌い出すというもの。

香澄に半ば強引に引っ張られる感じで有咲がカスタネットを、りみがベースをかついで登壇…とつながる様子は
やりようによっては感動も得られたと思います。しかし制作側の目論見どおりにはいきませんでした。

単に「見ていて恥ずかしい」という意見が多かったのですが、問題はそれだけではないと思います。
まず、ただの観客である香澄が無許可で登壇して歌い始めたこと(なぜかマイクはオンのままになってる)。
そしてバンドの到着を諦めかけていた観客たちがなぜかそれを「かわいい」と歓迎してしまうこと。
ほかにもベースの無断借用とかいろいろあるのですが、この2点に絞って考えてもやっぱりおかしいですよね。


このシーン、かの名作「BECK」のグレイトフル・サウンドにおけるワンシーンに似た感じがします。

「BECK」の場合、バンドの評判やコユキの歌声に定評があることをそれまでの過程で説明できていたからこそ
あの場面を感動的に演出できたと思うんですよね。いざこざもあっての再集結でしたし。

「BanG Dream!」の場合は視聴者を納得させられるだけの情報が足りなかったと思うのです。
香澄はべつに歌が上手いとも言われてない、ギターも弾けないし練習する素振りもない本当に無能な女の子で
ここまでの劇中、ただひたすら「バンドをやりたい」という主張を続けているだけでした。
(無能なりに「自分にできること」を考えた末の行動だと思えば、多少は好意的に解釈できるのですが…)

香澄のたいして上手くもない、むしろ聴くに堪えない(と多くの視聴者が感じた)『きらきら星』は、その場にいた
耳の肥えた観客たちからなぜか好意的に受け止められ、間をつなぐことに辛くも成功します。
ここで生じた「劇中の反応」と「視聴者の反応」のギャップが物議をさらに加速させることになりました。


これまでも「BanG Dream!」には常識的に考えておかしなところがいくつかありました。
香澄が質屋の蔵に不法侵入してギターと出会うところや、30万もするギターをほぼ無償で譲り受けたことなど
「作劇上の都合」という言葉でフォローするにはちょっと無理のある描写が続いています。
第3話前半のギターを抜き身で抱えて登校というのも、「アニメだから」という理由では看過できませんでした。

たとえ社会規範に反していようと、それが「作劇上の都合」に合致していれば看過されます。
本作でそうならなかったのはやはり視聴者を納得させられるような準備が欠けていたからではないかと。


ただ、これらの不自然な現象を経てひとつの確信を得られました。
それは「この世界では香澄のどんな言動も周囲から受け入れられる」ということ。

どんなに社会規範に反していようと魔法にも似た謎の力が働いて何事もなかったかのように許されてしまう。
多少キツい反応を見せることはあっても、ちょっと時間が経つと香澄のノリに懐柔されてしまう。
誰も突き放す人がいない。やることなすことすべて歓迎され、なりゆきで成功してしまう。
すべてが香澄を中心に回っている、香澄のための優しい世界。『魔法の国』とでも言いましょうか。

しかし物議を醸したということは、それだけ香澄の言動を許せない人が『外の世界』には多かったということ。
少数の偏屈な人がイチャモンをつけてるというレベルの話ではないのです。


『魔法の国』現象は、なにも今にはじまったことではありません。
最近だと「ラブライブ!サンシャイン!!」の最終回でも似たような現象が起きて物議を醸していました。
ネット上では「BanG Dream!」を「サンシャインの最終回を毎回やってる感じ」と評する声もあるほどです。

でも、今回は「ラブライブ!」に好意的だった人も否定にまわっている姿を見られるのが興味深いですね。


この『魔法の国』の違和感を許せる人と許せない人の違いはなんなのか。
Twitter上で本作の感想を探っていると、好意的な感想は「かわいい」とか担当声優に関するものばかりで
劇中で起きていること、ストーリー展開を褒めているものはごくわずかという印象。

つまり、『肯定的な人が肯定している部分』と『否定的な人が否定している部分』が異なるということ。

個人的には「かわいい」かどうかをアニメの評価の基準にするのはナンセンスだと思っています。
「かわいい」と感じるかどうかは主観によりますし、見る人によって評価が高くも低くもなってしまいます。
声優補正も同様。演技内容ならともかく、誰が出ているとか誰の声が聞けるかとかは主観的な評価点です。
しかし、ネット上ではそういうものも作品の評価に混同されてしまうからややこしくなります。

本作に対する物議において『賛否両論』という言葉がしばしば使われています。
ですが先述のとおり『肯定的な人が肯定している部分』と『否定的な人が否定している部分』が異なっており
評価点がすれ違っている現状を『賛否両論』と表現するのは苦しいかと。

「シナリオ重視の人は納得いかないみたい」だと述べている、『賛否両論』を用いたツイートもありました。
そう書くということは本作の文芸にある程度は違和感を覚えているということだと思いますが。


とりあえず自分は最後まで付き合うつもりでいます。ひょっとしたら後半化けるかもしれませんし。
難しいのは、既にだいぶ否定側に傾いてしまっている自分の視点を中庸に保てるかどうか?という点です。



「香澄をみんなで介護している世界」と書こうかとも思ったのですが、だいぶ不適切なのでやめておきました。
ただ、香澄の言動はほぼ幼児です。ギターを抜き身で持ち歩くところとかまさにそんな感じ。


あと「耳の肥えた観客たち」と書きましたが、ひょっとしたらこの認識は間違っていたかもしれません。

あのライブハウスに集まっている観客、出演するバンドを「かわいい」かどうかでしか判断していないとしたら
香澄たちがきらきらうんたんやってる様子を「かわいい」と評価しても仕方ないかな…と。
ライブハウスなのにペンライト振るのが主流みたいな描写になってるし、あの空間は異質なんですよね。

そういえば「ありえないことを描けるのがアニメやドラマのおもしろいところ」だと言うツイートもありました。
たしかにそれはそうですが、本作にそれを当てはめるのはどうなんでしょう?



追記の追記。新たに独立記事を設けるほどの話でもなかったので付け加えることにしました。

この記事を公開した直後の第4話がこれまでの3話分とは異質なものになっていました。
特に激変したのが香澄で、前回の内容を引きずって『きらきら星』をひたすら歌い続けてはいるんですが(笑)
それ以外の部分で人格が大きく変化しているように感じられました。
ざっくり言えばマトモになっている。他の登場人物と会話がだいぶ噛み合うようになってるんですよね。

で…もうひとつの大きな変化が、香澄の言動をきちんと批判する人が出てきたこと。
ライブハウスにおける暴挙についてもセリフの中だけではありましたが、あのあと叱られたという話が出てたし
有咲とのすれ違いに対しても(理由は理解してなかったけど)悪いことをしたという自覚をもっていたので。

でも結局、有咲はあっさり許しちゃうんですけどね。ネチネチと引きずるような話でもないですし。

アニメ作品としてはほかにも言いたいところはあるのですが、とりあえず見られるものになった感じがします。
決して「慣れ」ではなく。第4話の作風が続くのであれば最後まで見れそうです。

余談ですが、某所で有咲のことを『財布ちゃん』って呼んでるのひどすぎる…だいたい合ってるからなおさら。

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