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2018年2月22日 (木)

ドラマ「アンナチュラル」にハマる

今期はアニメ以外にも珍しく実写作品をひとつ見続けています。TBSで放送中の「アンナチュラル」というドラマ。

いわゆる法医学サスペンスもので、司法解剖によって事件の真実に迫るというのがおおまかな内容。
ただしあくまで法医学の部分に重きが置かれているため、海外のたとえばCSIシリーズのような逮捕劇はなくて
本当の死因を突き止めること、死者が残したメッセージを読み取る過程を深く掘り下げています。
とはいえそこそこ派手なシーンもあるんですけどね。クルマを水没させたり、離陸直前の飛行機を追いかけたり。

このドラマを見ようと思ったきっかけは『推し』がゲスト出演するから(笑)でした。
『推し』とは、乃木坂46の松村沙友理。なんの縁があってかこのドラマへの出演が発表されたのです。

最近は地上波各局も見逃し配信サービスを用意してくれてるから便利ですよね…第2話を見るための予習として
公式が無料配信していた第1話を見ることができました。そして準備万端で迎えた第2話。
結果として『推し』の出演シーンは2分にも満たない短いものでしたが、ドラマそのものにハマってしまったのです。


自分は実写のなかでも時代劇は好きなのですが、現代劇は普段まったく見ません。
ぶっちゃけ日本の現代劇なんてたいしたことはないだろうとナメている(笑)という本心があるのは隠せませんし
それよりもっと大きな理由が、登場人物と演者をどうしても混同して見てしまう傾向が強かったからです。
たとえば木村拓哉主演のドラマを見てても、登場人物ではなく木村拓哉として見てしまう。

現代劇ではそうなるのに時代劇でそれが起きないのは、時代劇は現実離れした絵だからかもしれません。
作り物だというのが最初からハッキリわかっている。ある意味アニメに近い感覚で楽しんでるというか。

海外の現代劇をすんなり見れるのは、演者が演技をしてないときの状態に慣れ親しんでないからだと思います。
木村拓哉の例で言えば、木村拓哉が木村拓哉でいる状態を知り過ぎている。
身なりも髪型も普段と違わないまま出ているせいで、普段の木村拓哉と切り離して見れなくなってしまうのです。

そんなこんなで、どんなに話題作であろうと自分はこれまで日本の現代劇を避けてきました。
なのに『推し』が出るという本当に俗っぽい理由で乗り越えられてしまうとは。我ながらわりと驚いてます。


だっておもしろいんだもの。CSIシリーズのような逮捕劇もなければ銃撃戦もないのに。

キャラクターの配置や役割分担、脚本、各話完結でありながら継続して描かれていく大きな謎解き。
どのパーツも巧妙に絡み合い、そしてスピーディーに展開していく。視聴者を退屈させる時間がありません。
しかも主題歌も良く、その主題歌が毎話ここぞというタイミングで流れてくる。歌詞が深く突き刺さってくる。

もっと濃いめの法医学ドラマが好きな人は司法解剖のシーンに対しては不満を覚えるとは思うんですよ。
「アンナチュラル」はほとんど切らないし取り出さないし、血が流れない。そもそも遺体がほぼ画面に映りません。
それに犯人の明確な犯行理由や動機が描かれないこともあります(第2話がその代表格)。
でも、おそらく意図的な割り切りだと思うのです。そこが重要なドラマではないというのを理解してやっている。
死者が残したメッセージを読み取ること、残された人たちの気持ちを汲むことを第一としているのでしょう。

決して予算が少ないから解剖描写を避けてるというわけでもないですしね。
第2話で冷凍庫付きのトラックを本当に湖に水没させるシーンを見て、本気度については確信できましたし。
なので、自分はマイナスポイントとは考えないことにしています。


先述の自分特有の問題点だった、登場人物を演者と混同して見てしまうという部分も次第に解消されました。
誰もが知ってる石原さとみがもう三澄ミコトに見えている。窪田正孝も、市川実日子も同様に。

それどころか二次元系の濃いファン(オブラートに包んだ表現)の如く、描かれない部分も想像し出している。
日常的に見続けてきたアニメでも滅多にそんなことないのに「アンナチュラル」ではそれが起きてるんです。
自分にとって革新的としか言いようがない事態であり、こうして記事にまでしてしまっているわけです。


話は変わりますが、自分は『死者との約束』というテーマを描いた創作に弱い傾向があります。
自覚したのは「シゴフミ」を見たあたりだったか…亡くなった人という、残された人にとって永遠の存在となった
大切な人とのつながり、ある意味では呪いにも似たものにシビれてしまうんですよね。
今期のアニメで言えば「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も同様の理由から、毎回感動させられています。

準備万端で迎えた「アンナチュラル」の第2話にもあったんですよ…とてつもない『死者との約束』が。
しかも百合。アレを見てときめかない百合好きはいないだろうというくらい、永遠のつながりをもった百合。

自暴自棄になり死ぬことすら望んだのに、本当の死の脅威に晒されたときに生まれた希望と約束。
結束バンドで拘束された腕で、約束の証として結ばれた小指と小指。指切りってなんでこんな熱いのだろう?
約束を交わした友が目の前で荼毘に付される最中、傷だらけの身体と心でその約束を反芻する。
それを演じてたのが『推し』だってんだから、これ以上に興奮しない話もないでしょう?(笑)

加えてもうひとつ、自分は雪国を舞台とした物語が大好きなのです。
彼女たちが交わした約束は雪国にたどり着くことで達成されるものなので、もう最高としか言いようがない…。


このハマり具合、創作に熱心なころだったら間違いなくなんらかのカタチにしていたでしょうね。
特に第2話の『死者との約束』はそれ一本だけで物語を作れるくらい、大きな影響を与えてくれるものでした。
「アンナチュラル」、普段あまりドラマを見ない自分からもオススメする良いドラマです。



もし自分が一次創作をおこなうときが来るとしたら、『死者との約束』と雪国は要素として必ず入れるでしょう。
それぐらい自分の胸を震わせる要素ですし、好きなテーマなら書くことに苦を感じないはずですから。
個人本、いつか実現できたらいいなぁと思っているあいだに20年くらい経ってしまいました。
思うだけじゃダメだな(笑)1年に1ページずつ書いたとしても1冊にはできていた計算になりますしね。


今回のお話、じつはまったく記事にするつもりはなかったのですが、ある件を受けて書き始めることに。
ある件というのは昨年放送のドラマ「光のお父さん」に出演されていた俳優、大杉漣さんの突然の訃報です。

「光のお父さん」は「FF14」デビューした父親をおもしろおかしく描いた一風変わった現代劇でした。
「FF14」をプレイし続けている同じ"光の戦士"の一員として、彼の死を受けていま深く沈み込んでおります。
あまりにも早すぎる、偉大な戦士を演じた俳優の死。エオルゼアは悲しみに包まれています。

単なるゲームではない、単なるゲーム体験をドラマ化しただけのものではない。
ドラマを撮影するにあたり大杉さんのために作られたキャラクターがいまもエオルゼアには残り続けている。
強く受け止め過ぎていると思われてしまうかもしれませんが、いまの自分には受け止めきれませんでした。
ただただ悲しい。「FF14」を起動するだけで彼の面影が浮かんできてしまい、ひたすら泣いていました。

残された"光の戦士"として、彼とある種の約束を交わしたように感じているのです。
そして、どんなやり方でその約束を果たせばいいのか。実際は交わしてもいないこちらの勝手な約束を。


以前、Xboxを通じてつながった若いフレンドが急逝したときは、ゲームを楽しむことでその約束を果たそうと
すぐに答えを導き出すことができたのですが、今回は少し難しそうです。
「FF14」の運営サイドがなんらかの動きを見せてくれることに期待しています。

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