2013年1月20日
2012年の総括や今期のアニメの感想、評価をまとめる個人および大手のブログは多いわりに
「AKB0048」を取り上げているところが少なくて我々WOTA一同はガッカリしています。
そもそも、彼らアニメオタクが見るべきアニメ(※)として認識されていないと思うんですよね。
アニメの一覧表を見たとき「これは我々が見なくていい作品だな」と片付けられてしまっている
様子が容易に想像でき、まず見てもらうことの難しさを痛感します。
でもそれはそれでいいんですよ。見ないから語らない。当たり前の話。
見てないのに語ろうとすればどうしたって先入観に頼るし、的外れな発言が多くなります。
しかし、多いんですよね…見てないのに語る人。知らないのに語る人。
Twitterや掲示板などで感想を探しているとかなりの頻度で見つかります。
見よう知ろうと思えない、知的好奇心の湧かない話題ならあえて触れようとしなければいいのに
なぜか思い込みや偏見に頼って語りたがるから、事実から遠くかけ離れていきます。
知る努力はしたくないが答えは出したがる。それもできるだけ早い段階で。
これって娯楽過多な時代を生きる現代人の傾向というか、病気なんでしょうか…?
※
もっと言えば、「アニメオタクが見るべきアニメ」という定義もどうなのかと思っています。
アニメオタクなんだからアニメと名のつくものはすべて網羅しろよ!というのが道理ですよね。
となれば、見ずに語るという状況は絶対に起こりえないはずなのです。
「オタクが見そうなアニメを押さえるだけの人」はアニメオタクと呼ぶにふさわしくありません。
探求意欲がない時点でオタクですらない可能性もありますが…。
アンチAKBになってしまう理由はいくつかあると思うのですが、それらはすべて嫌儲的な思想も
含めて、単なる生理的嫌悪感が原因であることが多いと思われます。
「かわいくない」「歌やダンスがヘタ」という細々とした理由は『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』的
発想によって後付けされたものでしかないと考えられます。
競合するほかのアイドルグループと比較して貶すのも同じことでしょう。
それは「好きになれない理由」にはなっても、「キライになる理由」にはならないのです。
「かわいさ」や「歌やダンスのうまさ」は思い入れ次第でどうにでもころがる主観的価値概念だし
AKBを嫌う明確な理由、客観的な判断基準であるとは言えません。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』は、転じれば『アバタもエクボ』にもなりますし。
同じ犬でも飼い犬ならかわいく見える、他所の犬が吠えていたら耳障りに聞こえるというのと
まったく同じ現象が起きているわけです。
メンバーの素性や楽曲を知ってるならまだしも、「名前も顔も知らない」「歌も聞いたことがない」
という人までアンチ側にまわる理由を明示できるでしょうか。
多くの人に今一度、なぜ自分がアンチになったのか理由を考えてほしいのです。
自分の感情を合理的に分析できるのかどうか。思い込みによって感情を左右されていないか。
周囲の価値観を自分の意見にすり替えてしまっていないか。
「キライなものはキライなんだからしょうがねえだろ!」という場合、それはそれでいいのです。
その生理的嫌悪感に「客観的事実ではない理由」を付加して対象を批判しないでください。
とある子供連れの家族がペットショップに行き、子供に犬を見せようとします。
しかし子供は犬を恐れて大泣きし、それを見た母親は「なにがイヤなの?かわいいじゃない」と
不思議そうな顔をしながら、泣きわめく子供に犬を押し付けます。
それくらい、個人のなかにある概念にはズレがあるということですよね。
ただ、自分が子供の立場なのか母親の立場なのかを考えだすと非常に悩める話になるので
上記の文章についてふたたび考えなければならなくなったり。
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