2013年3月13日
本日発売の乃木坂46の新譜「君の名は希望」について、どうしても語りたくなってしまいました。
歌詞が発表され、一読した瞬間に「なんだこれは!?」と衝撃が走ったのも記憶に新しいですが
歌詞単独で読めば読むほど、曲に乗せて聞くほどにその衝撃が強まりました。
公式ライバルという関係にあるAKB48の楽曲にも、歌詞の内容を気に入ったものはありましたが
メンバーのバックボーンや曲との関連性、そして「AKB0048」を見たあとであるという時間軸から
考えると、曲単体で気に入ったとは言い切れません。
「君の名は希望」は本当に、単独で強烈に胸を打つものがあります。
たとえるならカバーをはずされた薄い文庫本のような、短く繊細な短編文学の読後感。
舞台はおそらく年が明けて桜の幹が色付くまでの、ちょうどいまごろの季節。
冬の寒さが残る色味のない乾いた校庭に独りたたずむ「僕」。
学業や運動、学内の行事で特別活躍できるような白い側の生徒でもなく。
AKB48の「軽蔑していた愛情」に登場するような、すべてに失望と諦観を抱えた黒さもなく。
自分を変えることも、かといって死ぬほどの勇気ももたない灰色の「僕」。
いつしかその色も失い、あまりの存在感の無さからクラスで「透明人間」と呼ばれていた。
「透明人間」と呼ぶ周囲の生徒や、この世界そのものに一切の興味をもっていなかった「僕」。
そんな「僕」の希薄な存在感に気付いてくれた、気付かせてくれた「君」が現れる。
世界のすべてが色付いていく様子が簡潔なワードによって情景として浮かんできます。
もはやアイドルの楽曲に留めておくのが惜しいというか…いや、決して失礼な意味ではなく。
ただ、これを乃木坂のメンバーが歌っているからこそ突き刺さるというのも確実にあると思います。
前作「制服のマネキン」も「君の名は希望」に近いところがあり、「制服のマネキン」で方向性が
確立されたのではないかと思えます。方向性というより音楽性かな?
AKB48や各支店のどれとも違う、割れたガラス片のような文学性を打ち出してきた感じがします。
そのガラス片に触れた痛みと、血濡れた指を見るときの驚きをもつ独特な詩の世界観。
恋愛をテーマにした歌にも様々な種類があって、48Gそれぞれにアプローチの仕方が違います。
最近の楽曲でいえばHKT48の「スキ!スキ!スキップ!」なんかがわかりやすいですよね。
ただ…「君の名は希望」は受け手によっては恋愛の歌ではないのかもしれません。
「君」と呼ばれる存在が人間ではない可能性もあって、その「君」の存在に気付いたことによって
世界の見え方が変わり、世界に「僕」の居場所を見つけられたという見方もできます。
そこにただのアイドルソングに留められない、この歌の奥深さが感じられますよね。
似たようなアイドルグループが数ある現状において、どのようにして差別化を図るか。
特に48Gはすべての歌詞を秋元康が執筆しなければならないという大きな制約もあります。
そういった状況下で乃木坂46は一歩先んじて、楽曲により独特の個性を手に入れたと思います。
こういう方向性の曲が続くと今後の期待が高まりますよね。
自分としてはぜひこの方向性を貫いてほしい。もしかしたらAKB48より好きになるかも…。
こういう曲に出会ったとき、若い人なら「神曲」とでも表現するのでしょうか。ちょっとマネできねえ。
ジャケ写とMVが曲の内容から剥離しているという批判も目にします。
個々に見るぶんにはどれも良いのですが、統一感があるとは言えませんよね。
しかし、この歌詞の内容のまま映像化されなくてよかったとも思います。
視覚的にイメージが固定されてしまわず、あくまで文学として歌詞が機能することに意味があると
この「君の名は希望」という曲については言えると思うので。
余談ですが…カップリング曲「シャキイズム」のMVに登場するメガネをかけた男装の生駒里奈が
「君の名は希望」の歌詞に登場する「僕」のイメージにピッタリなんですよね。
「君の名は希望」のMVを大掛かりな企画をもとに撮影して、内容から剥離してしまったぶんを
カップリング曲のMVに要素を寄せることで取り戻しているのかなぁ…などと思いました。
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