「個人の自由」と「全体の規律」
「日本人の『勝ち組』依存と少数忌避」公開後、しばらくして思ったことをまた書き記します。
世の中には「個人の自由」を尊重する人と「全体の規律」を尊重する人がいます。
ここで言う自由とは、すべての責任を自分で負う覚悟のある自由を指します。
自由に振る舞った結果、失敗しようが死のうが「個人の自由」。
欧米ではこの「個人の自由」が尊重される国が多い傾向にあります。
対して日本では…というか、日本人はいまだに「全体の規律」を尊重する傾向が強い。
さきほど挙げたような自由ではなく、ただの身勝手を自由と履き違える人が多いからかもしれませんが
誰かが「個人の自由」を主張するとそれがどんな種類の自由であろうと押し潰そうとします。
みんな同じ色で、同じ方向を向いて、同じものを買うのがよろしいとする。そういう空気があります。
「全体の規律」が尊重される傾向が強いことを利用して、「全体の規律」のために動けと言う人がいる。
「全体の規律」を強要する人が出てくる。そこが「全体の規律」のデメリットなのです。
シンプルに言えば、「みんなと同じではない人は悪である」という考えがまかり通るということ。
「みんな」というのは「もっとも人数が多い派閥」、言わば『勝ち組』の代名詞です。
大きな主語には逆らえないだろ?という、精神的に上位をとろうとする思惑が透けて見えるわけですよ。
こうして書くととてつもない悪意を理解できるのに、多くの日本人が無意識のうちに行使しているから
「全体の規律」というのはとても恐ろしい存在なのです。
「全体の規律」も大事です。「全体の規律」によって制御され、うまくいくことも多いので。
ただし特定の個人や団体の利益につながるような使われ方をしないうちは…という話ですが。
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