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2022年7月13日 (水)

復讐する気は我になし

時事ネタに対し、こんな記事を書くのも珍しいことなのですが。どうしても書かずにはいられなかったので。

人間、長く生きていると「この人さえいなければ…」と思う相手がひとりやふたりいるものです。
かく言う自分もこれまでの人生で3人、この人と出会わなければもっとマシな人格を形成できていただろうと思う
相手が戸外にいるのですが、どれも10年以上前のことで、いまとなってはどうでもいい話になっています。
しかし、刻まれた傷の深さだけはそうそう忘れることはない。埋めようのない痕としていまも残り続けています。

彼らに仕返しや嫌がらせができる機会が訪れていたとしたら、どうしただろうか?と考えるときはあります。
たとえば、街中で偶然見かけてしまったとか。いまならSNSで相手のアカウントを見つけたとか。
それでもきっと何もしないだろうと思えるのは、『普通の人』でいられるだけの理性は持ち合わせているから。

腹の中でどう思っていようが、思っているだけなら罪にはなりません。
仕返しや嫌がらせの方法をいくら想像してもいい。実行に移してしまうかどうかが、正常と異常の境目なのです。


異常を目にして深く傷付いたとき、歪みが増したとき、いつも「モブサイコ100」のセリフを思い出します。
何者にもなれなくても、いいヤツにはなれる。いいヤツになれ。イヤなヤツにはなるな、と。
最悪な人生でも、最悪なことを思いついてしまったとしても、実行に移さないだけの理性があればそれでいい。
いいヤツでいれば、見放さずに話しかけてくれる人がきっといます。



時事ネタに対し『天罰』や『呪い』という言葉を用いる人がいますが、個人の宗教観を押し付けてる感じがして
好きではありません。『天罰』や『呪い』と呼んでいいのは自分自身への仕打ちだけです。

『呪い』を信じている人が『呪い』を行使すれば、その力は本人に返ってくる。
呪符を張ろうものなら、その内容が書いた本人に返ってくる。いわゆる「人を呪わば穴二つ」というヤツですね。
自身に降りかかるそれを『天罰』と認識できるとしたら、人としてまだ取り返しがつくのですが。

余談ですが、「お祓いにいったほうがいいよ」と言うのも宗教観の押し付けです。たとえ善意であっても。
無宗教のつもりが無自覚のうちに宗教に影響された考え方、言動をしている日本人はかなり多いと思われます。

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